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2022/12/31 発売
KKC-4317
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¥23,833 (税抜価格 ¥21,667)
クレンペラーの演奏の分水界 1951年のVOXレコーディングと1963年までのウィーン響とのライヴ録音集が 最新SACDリマスタリングで登場! [商品番号 : KKC-4317/32] [16SACD Hybrid] [Import] [日本語帯・解説付き] [Live] [OTTO KLEMPERER FILM FOUNDATION] オットー・クレンペラー&ウィーン交響楽団 / VOXレコーディング&ライヴ録音集1951〜1963 Disc1 1951年3月8〜12&15日 (VOX) ベートーヴェン : 交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」 メンデルスゾーン : 交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア」 Disc 2 1951年3月8〜12&15日 (VOX) ベートーヴェン : ミサ・ソレムニス (荘厳ミサ曲) ニ長調 Op.123 イローナ・シュタイングルーバー (ソプラノ) 、エルゼ・シュールホフ (コントラルト) 、エーリヒ・マイクート (テノール) 、オットー・ヴィーナー (バス) 、ウィーン・アカデミー合唱団 Disc 3 1951年3月8-12&15日 (VOX) ブルックナー : 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」WAB104 Disc 4 1951年5月14-16日 (VOX) マーラー : 交響曲第2番ハ短調「復活」 イローナ・シュタイングルーバー (ソプラノ) 、ヒルデ・レッセル=マイダン (メゾソプラノ) 、ウィーン・アカデミー合唱団、ウィーン楽友協会合唱団 Disc 5 1951年5月18日 (ライヴ) マーラー : 交響曲第2番ハ短調「復活」 イローナ・シュタイングルーバー (ソプラノ) 、ヒルデ・レッセル=マイダン (メゾソプラノ) 、ウィーン・アカデミー合唱団、ウィーン楽友協会合唱団 Disc 6 1951年5月20-23日 (VOX) マーラー : 大地の歌 エルザ・カヴェルティ (アルト) 、アントン・デルモタ (テノール) Disc 7 1951年5月20-23日 (VOX) ベートーヴェン : 交響曲第5番ハ短調Op.67 ボーナス・トラック (VOX) シューベルト : 交響曲第4番ハ短調D417「悲劇的」 プロ・ムジカ管弦楽団 1950年11月19-20日、パリ Disc 8 1951年5月20-23日 (VOX) メンデルスゾーン : 交響曲第3番イ短調Op.56「スコットランド」 (第1楽章のみクレンペラーの指揮) 1951年6月9-11日 (VOX) ショパン : ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21 ギオマール・ノヴァエス (ピアノ) Disc 9 1951年6月9-11日 (VOX) シューマン : ピアノ協奏曲イ短調 Op.54 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58 ギオマール・ノヴァエス (ピアノ) Disc 10 1955年6月21日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 モーツァルト : 交響曲第41番ハ長調K551「ジュピター」 Disc 11 1955年6月21日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 (Disc 10の続き) マーラー : 交響曲第4番ト長調 テレサ・シュティッヒ=ランダル (ソプラノ) Disc 12 1956年3月8日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 J.S.バッハ : 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068 ブラームス : 交響曲第3番ヘ長調Op.90 Disc 13 1956年3月8日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 (Disc 12の続き) ベートーヴェン : 交響曲第7番イ長調Op.92 Disc 14 1958年2月26日 (ライヴ) ブルックナー : 交響曲第7番ホ長調WAB107 Disc 15 1963年6月16日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 ベートーヴェン : 序曲《コリオラン》ハ短調 Op.62,交響曲第2番ニ長調 Op.36 Disc 16 1963年6月16日 (ライヴ) 全コンサートCD初収録 (Disc 15の続き) ベートーヴェン : 交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」 リストア&リマスタリング : ボリス・ボレス・オーディオ&ミュージック・プロダクション、デトモルト オットー・クレンペラー (指揮) ウィーン交響楽団 ★アメリカに亡命したユダヤ系ハンガリー人であるジョージ・デ・メンデルスゾーン=バルトルディ (大作曲家メンデルスゾーンの子孫だと称していた) によって、1945年に創設されたアメリカのレーベル、ヴォックス・レコード (VOX) 。クレンペラーをはじめ、ホーレンシュタイン、ホルショフスキ、ブレンデル、ギトリス、といった一流の演奏家の録音を多く残しています。今回リリースされるセットは、クレンペラーとウィーン交響楽団による1951年のVOXレコーディングと1963年までのライヴ録音を、SACD用にリマスタリングした16枚組SACD Hybridのボックスです。リマスタリング&修復エンジニアのボリス=アレクサンダー・ボールズ氏は、「これらの芸術的な価値がきわめて高い歴史的なスタジオ録音とコンサート録音を復刻するにあたって、私たちの主要な意図は、音楽の情報をできるだけ欠陥のない無傷な状態に保ち、劣化する要因を取り除いて最大限に自然な音を提供することにあった。」と語っており、現在の基準に沿った実りあるリスニング体験が得られるよう、細心の注意が払われています。 ★最初にクレンペラーがVOXに録音したのは、1946年パリでプロ・ムジカ管弦楽団とのバッハの「ブランデンブルク協奏曲」、その後に1950年にはモーツァルト交響曲第25&36番を録音。そしてメンデルスゾーンが新たにクレンペラーに提案したのがウィーン交響楽団との録音シリーズです。1951年のVOXへの録音は、クレンペラーの指揮者としてのキャリアのなかでもきわめて重要な年だったと捉えられています。クレンペラーは、戦後ヨーロッパに戻って行った演奏活動における第1期 (1946〜51年) で、戦前の名声を再確立することができました。この時期は、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との高水準な演奏の数々 (伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961/KKC-4258) と並ぶ魅力的な記録となっています。特にここに収録されているベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」は、レコード化されたクレンペラーのその他の演奏と比べても類をみない演奏となっています。特に晩年クレンペラーは、楽曲の構造をより深く展開し、次第にテンポを遅くするようになります。1946〜51年頃のクレンペラーは戦前のスタイルを引き継いでおり、時として速めのテンポをとるなど、推進力のある演奏を展開しており、そういう意味でも1951年はクレンペラーの演奏の分水界でありました。特に7月に行われたオランダ音楽祭でのマーラーの「復活」はその頂点を極めているといっても良いでしょう。 ★1951年のVOXレコーディングは3回に分かれて行われました。そして周知の通り3回目の録音の後、クレンペラーはVOXと決別することになります。クレンペラーは6月9〜11日にかけて、メンデルスゾーンの「スコットランド」 (すべて録り終えることはできなかった) 、とピアニストのギオマール・ノヴァエスとのピアノ協奏曲の録音を行い、6月14日からウィーン交響楽団とともにギリシア・ツアーに出ています。その後クレンペラーの予定ではウィーンには戻らず、ロンドンへ行き、南北アメリカ・ツアーを終えたのち、1952年はじめにウィーンに戻り、残りを録音するつもりでいました。しかし、1951年9月には、クレンペラーが録音したレコードが発売されており、まだ録音してないはずの「スコットランド」はクレンペラー指揮として全曲リリースされていたのです。 (未録音の楽章は、ヘルベルト・ハフナーによって録音されていた) それを知ったクレンペラーはVOXと関係を断つことにします。しかし、その間にクレンペラーにはさらなる災難が降りかかっていました。南米でのコンサートが成功を収め、ニューヨーク経由でモントリオールに戻ったクレンペラーは、階段を踏み外し転倒、大腿骨骨折という大怪我を負います。予定されていた北米ツアーは中止、さらには長期にわたり国外に滞在したこと共産圏ハンガリーでの滞在歴などが重なりパスポートが没収され、1954年1月までヨーロッパに渡ることが出来なくなりました。うつ状態の2年間を過ごすことになったクレンペラーですが、好機も到来します。レコード・プロデューサー、ウォルター・レッグの仲介によりEMIとの新しい契約が締結、後のレコード史に刻まれた名演の数々を生み出すことになります。 ★また同時収録されているウィーン交響楽団とのライヴ録音も注目。ウィーン交響楽団とクレンペラーのはじめての共演は1920年12月18日のベートーヴェン音楽祭でのコンサートでした。そして1958年10月1日未明の寝煙草による火災で負った大火傷など度々の災難を経て、1963年6月16日アン・デア・ウィーン劇場でウィーン交響楽団とのコンサートが行われました。偶然かそうでないかは定かではありませんが、クレンペラーが初めてウィーン交響楽団と共演したコンサートと同じく、両者最後の共演となったコンサートもまたオール・ベートーヴェン・プログラムとなりました。1920年の演目は、交響曲第2番、レオノーレ序曲、交響曲第5番でしたが、1963年はコリオラン序曲、交響曲第2番、第3番という順で演奏されました。この演奏会を聴きに来ていたオーストリアの作家フランツ・タッシエがこのように書き残しています。「ウィーン交響楽団は素晴らしかった。偉大な夜に、偉大な指揮者としか演奏しないかのように振る舞うやり方を、彼らが知っていた」